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元宇宙飛行士のシュワイカート |
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宇宙飛行中は、ものすごく忙しく、秒単位で仕事をしなくてはなりません。ところが宇宙船の外へ出て仕事をしている時、カメラが故障して、それを直すまでの五分間、なーんにも仕事がなくなったそうです。
ただ、ぶらぶら宇宙遊泳してるだけ。……そのとき、シュワイカートさんの中に、強烈な『私って何?』がきたのだそうです。そして意識したことは、(自分はここにひとりでいるのではない。全人類と共に生きているのだ)という実感だったと言います。
『私』という『個』の感情じゃなくて、人類的な感情と言ったらいいでしょうか、そんな強烈な体験をして、それが今の彼の原点になり、ライフワークにつながっているのだそうです。 |
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スイスの精神医学者ユング |
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男と女の関係というのは、『二人』の関係ではないと言います。
男に生まれたら100パーセント『男性的』かというと、そうではない。男性の中には女性的な部分もあり、女性の中には男性的な要素も含まれている。ですから、男と女はいつも『四人』の関係なんです。
それぞれに『内なる異性』がいるのです。 |
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『子どもの宇宙』より河合隼雄 |
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この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。
大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。大人たちは小さい子どもを早く大きくしようと焦るあまり、子どもたちのなかにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。
このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する『教育』や『指導』や『善意』という名のもとになされるので、余計にたまらない感じを与える。
私はふと、大人になるということは、子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかとさえ思う。それでは、あまりにもつまらないのではなかろうか。(中略)
実際、われわれ大人もそのなかにそれぞれが宇宙をもっているのだ。しかし、大人は目先の現実、つまり、月給がどのくらいか、とか、どうしたら地位があがるか、とかに心を奪われるので、自分のなかの宇宙のことなど忘れてしまうのである。
そして、その存在に気づくことには、あんがい恐怖や不安がつきまとったりもするようである。
大人はそのような不安に襲われるのを避けるために、子どもの宇宙の存在を無視したり、それを破壊しようとするのかも知れない。
従って、その逆に子どもの宇宙の存在について、われわれが知ろうと努力するときは、自分自身の宇宙について忘れていたことを思いだしたり、新しい発見をしたりすることにもなる。
子どもの宇宙への探索は、おのずから自己の世界への探索につながってくるのである。 |
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